広島の元エース、北別府学さん(享年65)が亡くなって6月16日で2年がたつ。3年半にわたり成人T細胞白血病(ATL)と闘い続け、最後まで野球を愛した偉大な投手。残された妻・広美さんは今、通算213勝を挙げた大投手の遺志を継ぎ、一般社団法人…
広島の元エース、北別府学さん(享年65)が亡くなって6月16日で2年がたつ。3年半にわたり成人T細胞白血病(ATL)と闘い続け、最後まで野球を愛した偉大な投手。残された妻・広美さんは今、通算213勝を挙げた大投手の遺志を継ぎ、一般社団法人「Next Player’s Foundation」を立ち上げ活動を続けている。
北別府さんが逝って、もう2年がたとうとしている。16日に2度目の命日を迎えるにあたり、広美さんは三回忌法要の準備をしながら昨年8月に立ち上げた「Next Player’s Foundation」の代表理事として忙しい毎日を送っている。
元気だった北別府さんは、フィリピンのスラム街の子どもたちに野球道具を送る活動を支援したり、被災地で野球教室を開催していた。
病に倒れても「野球をしたくてもできない子がいる」と話していたという。
広美さんは「治ったら一緒にやろうね、と言っていたんです」と、支援活動を夫婦で行うことを北別府さんと約束していた。
その願いはかなわなかったが、遺志を継いで昨年、北別府さんの誕生日(7月12日)にブログ「北別府の思いをつなぐ-全ての子どもたちがスポーツを楽しめる世界に-」を開設。同8月に児童養護施設などに野球用具などを贈る一般社団法人を立ち上げた。
北別府さんの知人や広美さんの友達が手弁当で集まった。
北別府さんやOBの大野豊さん、小早川毅彦さんらの野球用品をチャリティーオークションに出品した収益や寄付金でグラブを購入。昨年12月に児童養護施設の広島修道院の子どもたちにグラブを渡した。
新品グラブを渡したが、一緒に行った大野さんから「硬すぎてすぐに使えない」と指摘を受けた。
今はメンバーで勉強し、グラブの型付けをして子どもたちに手渡そうとしている。
北別府さんが亡くなってから1年は悲しみに暮れる日々だった。
「毎日のように弔問の方が来てくださって、一年間は一緒に泣いたり、主人の思い出話をしたりで、主人がいなくなったっていうことを、ひしひしと感じなければいけない時でした」と、つらい時期を振り返った。
現役時代、通算213勝を挙げた右腕を陰で支えてきた。
「(現役時代の)主人は野球が嫌いって言ってたんですよ。苦しいことしかないって言ってたんで。だから、この強い人が苦しむほど野球って大変なんだなっていうのがあって。だから私も野球を楽しむどころではなかった」
栄光を手にするために時には家族を犠牲にすることもあった。そんなエースを支えてきた広美さんは、これまでプレッシャーを感じない野球の楽しさを知らなかった。
「主人がいなくなって1年間野球の話をしてきて、主人が真摯(しんし)に野球に対峙(たいじ)してきたから私も野球を見始めたらもう面白くって。人との関わり、皆さんやっぱり野球経験者の人とかとしゃべってるうちに。で、球場に試しに行ってみたら、面白くて面白くって」
マツダスタジアムのスタンドにも足を運んだ。
5月には北別府さんが非常勤コーチを務めていた高校野球の英数学館が、春季広島大会で初優勝した。
4連覇を狙う強豪・広陵との決勝戦を観戦し「優勝した時のうれしさっていうか、主人が最高に喜んでいるだろうな、行きたかっただろうなと思って」と、熱戦を思い出しながら涙をぬぐった。
完投したプロ注目のエース藤本勇太投手(3年)の表情にも注目した。
「ピンチで抑えたとき、広陵相手にニヤリとするんです。主人はそういう強気の子を好きだろうなって思って、見せてあげたかったな」と、夫をしのんだ。
カープOBや名球会関係者に協力をお願いするために東奔西走する。社団の代表理事として先頭にたってチャリティーへの出品などの寄付をお願いしている。
「私は表に出るのは苦手で、できれば支える側でいたかったんですけど。主人は背中をポンと押すような人じゃないんで、お尻をポンとけってるんじゃないぐらいの勢いで動いてます」
北別府さんの遺志を継ぐ広美さんは、歩みを止めることはない。亡き夫の魂と残してくれた仲間とともに。